音楽制作と技術の関わりって難しい。
それは
使いこなせば素晴らしい味方になるけど、
頼りきってしまうと毒になる。
音楽をより良くするために技術を使うとそれは魔法の杖になってくれるけれど、
音楽をごまかすために技術を使うとそれはミュージシャンを堕落させてしまうし、アウトプットされるものもほぼ、人から評価は受けない。
録音技術ってビートルズの時代にその頂点は終わっていると思う。
そのあとの時代って大手のレコード会社が
「文句を言われない作品を作る」ためのツールとして技術を発展させてきたところが多分にある。
ビートルズのサウンドはスタジオの技術無くしてはあり得ないものもあるけれど、
演奏自体はほとんどが一発だ。
確かに演奏はうまいけど、音程を外したり、リズムが狂ったり、バランスが悪かったり・・・
突っ込みどころは満載なのに未だに世界中から愛されているのは何故だろう?
答えは簡単で、技術を使う前に強烈な音楽のイメージとエネルギーがあったからだと思う。
そのエネルギーが今もしっかりとディスクの中に閉じ込められている。
だから音って不思議だ。
技術がビートルズに”使われている”のだ。
技術を使い倒して誰も聞いたこともない世界を見ようとすることにもエネルギーが必要だから、技術を使いまくることが悪いことだと言っている訳ではありません。
僕はスタジオに篭っていたビートルズも、グールドも、YMOも好きだし、
大勢のミュージシャンがスタジオに集まって「せーの」で録音した昔の映画音楽やクレイジーキャッツや石原裕次郎といった歌謡曲も大好きだ。
みんな、すばらくエネルギッシュ。
そしていつも思っているのは、人って音のほころびに何かを感じるんじゃないかということ、
感極まって裏返る声、外した音程、
そんなところに意外とホロリとか、グッと来る人は少なくないはず。
それが音楽を感じるということなのかも知れない。
美しい音も大事だけれど、そんなほころびも大事にできる感性を育てていきたいものだ。
https://www.youtube.com/watch?v=J3kIzikGl6w&feature=player_embedded#t=0
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