音と風景というのは何故か関係がある。
ある曲を聴くと決まって思い出す風景、感情がある物だ。
風景という訳ではないけれど、こんな事があった。
僕は大学を卒業するまで、クラシックという音楽が嫌いだったと言うか、偏見があった。
というか、クラシックを取り巻く状況があまり好きではなかったのだ。
教わる先生と言えば、形にばかり拘って音楽そのものをものすごく堅苦しく捉えている。(それは今もあまり変わっていない部分もあるが・・・)そういう”壁”が邪魔をしてなかなか音楽そのものに触れる機会がなかった。
”違う階級の人たちが聞く頭でっかちな音の固まり”という感想しかなかった。
会社に入ってロシアに暫く滞在したときのことだ。
ソ連が崩壊して間もない頃だったが、共産主義時代の残骸が色濃く残る街でロシア人と共に過ごした2ヶ月は、僕にとっては物凄い刺激だった。
すすけた町並み、質素な食べ物、ソ連の赤い旗、ロシア正教の寺院、心温まるスラブの人たち・・・・
そのよう刺激と共にチャイコフスキーが白鳥の湖を書いたと言われるノボデビッチ修道院のそばにある湖を見た時、僕の中にクラシック音楽が物凄い勢いで入り込んだ感覚を思えている。
幸いな事に、その後も仕事ヨーロッパに行くたびにその感覚は襲ってくる様になった。
結局クラシックと言われる音楽も、生まれた国では生活と共にあるのだ。
というごく当たり前の事がわかった様な気がする。
珍しい物をあがめる、家元制度、徒弟制度・・・・
日本では、おかしな物がヨーロッパの音楽と結びついて音楽本来の姿を見えにくくしている部分があるのではないだろうか?
若い音楽家の皆さんにはそんな下らない事とらわれず、自分たちの信じる表現を追求して頂きたい物だ。
いつか、日本の音楽教育についても思いっきり愚痴ってみたいなあ。
PHOTO:海です。